なんかもうボーっとしているとすぐに順番が回ってきてしまって、時間の進みの速さについてません。昔はもっとゆっくり時間が進んでいたような・・。
昔を思い出してみれば大人はだいたいみんなそんなことを言っていた気がします。ただ、夏休みに限ってみれば、7月こそはこれが永遠に続くんじゃないかと思うくらい長く感じた夏休みも、もう8月?もう30日??くらいにあっという間に2学期になっていましたし、こどもだから時間の進みが遅いというのも、時と場合によるよな、とも思います。
さて、こんな話で思い出す本と言えば『モモ』となりますね。例によって紹介はこちらからお願いします。https://www.iwanami.co.jp/book/b254851.html
こちらもご存じの方のほうが多いのではないかという名作中の名作なので、内容について多くを語る必要もないのですが・・。
時間の進みが速く感じるという点において、「時間泥棒」という説明はどうなんでしょう?もちろん「忙しい」ことで心をすり減らしている現代人たちのために、みたいなことはわかるんですけど、「時間がない」ではなくて「もうこんな時間」となるときって、むしろ楽しい時間とか、集中した時間を過ごせていたときですよね。
そうなると、その時間を「時間泥棒が盗んだ」と考えるのはどうにもあわないように思います。そこで楽しく過ぎてしまった時間については、「貯金した」と考えてみるのはどうでしょうか。作中では時間泥棒が時間を盗むための嘘として話していたことですが、あとで思い出して元気なれる時間ということで、意外と解釈としては合う気もします。
もちろん、忙しくて失われた時間についてはそのまま「盗まれた」という解釈のままでよいでしょう。
ファンタジー系の作品の場合、こんな感じで微妙に納得のいかないことがあったりするのですが、そこを解釈で埋めるのも楽しいものですよね。では、この無駄にも思える解釈に使った時間は「貯金した」でよい?それとも「盗まれた」?
武蔵MSG高等学院
熊崎 泰介