早いもので塾日記も3周目に突入です。お久しぶりです。熊崎です。普段は国語を担当していることもあり、毎回何かの本について書いていこうかと思っています。
さて今回の本は『ゲド戦記』にしようかと思います。超名作だしジブリで映画化もされたりしているので、ご存じの方の方が多いのではないかと思いますし、その分一家言お持ちの方も多いでしょうが、例によって温かい目で見ていただけると幸いです。
知らない方のために少しだけ説明しておくと、ゲド戦記は一冊の本ではなく、『影との戦い』から始まるシリーズの名前です。詳細は岩波書店様のサイトhttps://www.iwanami.co.jp/book/b254639.htmlをご覧ください。魔法の存在する世界で、主人公「ゲド」がいろいろ経験する話。というとざっくりしずぎているので、ぜひ上記のサイトをご覧下さい。
『ゲド戦記』のすごさなんて語ればいくらもあって、巻頭に掲載の詩のかっこよさにはじまり、「真の名」は普通隠すものなので、普段の呼ぶためにつけている名前が「ハイタカ」とか「カラスノエンドウ」とか、これは訳がすごい部分かなとも思うんですけれども、おかげで異世界の雰囲気が出来上がっているように思います。
でも、もちろん一番の魅力は「魔法」の描かれ方なんですね。世の中のすべてのものには「真の名」があり、それを知ることで世界のあり方を変えてしまうことができる。みたいな設定はそもそも日本でも「忌み名」とかいって通称と本名を使い分けていた時代もあったりして、馴染みやすいものですし、もう一つ「世界の均衡」の話もどこかを変えてしまえば別のどこかに影響が出てしまうので、大きな魔法を使うことには慎重にならなければ、なんて話も環境問題なんかで馴染みがあるので、納得しやすいと思います。
本来、物語の中で「魔法」というのは便利すぎて使いづらいものじゃないかと思います。シンデレラのカボチャの馬車とか、いい魔女がいればなんでも解決かよ、とか思わないでもないんですが、あれだって「12時まで」の制限があります。ただの何でもありの力ではないんですよね。
だから便利に使わせないために、「難しい」とか、「命を削る」とか、何か制限が必要になるんですけど、『ゲド戦記』ではそれを「世界の均衡」という現実世界でも通用しそうな考え方で実現しているのがなんかいいなと思うわけです。
だからこそ、「現代の科学技術も魔法みたいなもので、世界の均衡考えて使わなければ・・」なんて説教じみた結論も簡単にだせちゃったりするんですが、そのあたりはもう、読んだ方におまかせしたいです。
とにかく、読んで面白い本なのは間違いないです。まだよんでいない方には、個人的には少年ゲドと師匠オジオンの会話が好きなので、第一巻の『影との戦い』をお勧めしておきます。これが面白いと感じるなら、二巻、三巻と手に取ってみてください。多分、損はしないんじゃないかな。
それでは、ここまで読んでくださった方がよい本と出会えますように。
武蔵MSG高等学院
熊崎 泰介