“八十一”の日!

 九月九日は「九九の日」と言われています。石川県小松市の西満憲氏が「語呂合わせとして良いのはもちろん、時期としても夏休み明けで学ぶにふさわしいのでは」と提唱し、日本記念日協会に認定されました。

 九九はもともと古代中国で生まれた暗記法です。みなさんはかけ算の九九といえば「1×1」から順番に覚えていったと思いますが、なぜ「九九」という通称で呼ばれるのでしょうか。じつは当初、「九九、八十一」から覚えるのが普通だったのです。これは当時の中国の特権階級の人々が「計算をするのに便利な九九を、下々の民に教えるのはもったいない。変に知恵をつけられると支配するのに都合が悪い」として、わざと覚えにくいようにと大きな数から唱えるようにしたからだそうです。

 日本に九九が入ってきたのは平安時代頃で、日本でも当初は「九九、八十一」から唱えていました。日本には言葉遊びがあり、数字を九九で表現することが昔から行われています。万葉集には、九九を洒落て表現している歌がいくつかあります。たとえば、「十六」と書いて「しし」、「八十一」と書いて「くく」、「ニニ」と書いて「し」と読ませるのです。

 「二八そば」というおそばがありますが、この由来は元々はおそば が1杯16文だったことから、「2×8=16」の語呂合わせで「二八そば」と呼んでいたといわれています。やがて物価上昇に伴い、そばが1杯20文くらいが普通になったあたりから、「二八そば」は「小麦粉2割にそば粉8割で打ったそば」という現在用いられる意味に変わってしまいました。また「一日中」を意味する「四六時中」は「四六、二十四」からですが、明治時代に入るまで日本で使われていた旧暦では一日を12刻で考えていたのでもともとは「二六時中」と言われていたそうです。言葉の変遷の歴史にも九九が影響を与えているのですね。

 高度な技術や便利な知識を上流階級の人たちが独占することで、その地位を保持しようとしてきたことは古今東西のあらゆる文明のなかで見られてきた歴史です。そしてその秘密が破られ、知の共有が庶民にまでなされてきたからこそさまざまな文化が生まれ、現代の繁栄につながるのです。みなさんが学校で学ぶことの中には「専門職や研究職に就かない限りは必要ないよね」と思う知識もあるかもしれません。事実、かつての権力者たちはそう考えてきたわけです。「こんな知識は一般の国民に要らないよね。私たちが全て管理して支配するのだから。」と。学ぶということは自由と尊厳を手にするということなんだなあと、“八十一”の歴史からそう思いました。