正岡子規が愛したスポーツ

 昨年末から、メジャーリーガーの大谷翔平がスポーツニュースを連日賑わせていました。移籍したドジャースとの10年1000億円という超大型契約、突然の結婚発表、そして右ひじの手術の影響のためDHに専念して臨んだ今シーズンは打者として前人未到の記録の達成を果たすなど素晴らしい成績を残しました。この記事を書いている段階ではポストシーズンの最中であり、これからも活躍に目が離せません。

 タイトルと書き出しのギャップに困惑しているかもしれません。10月14日は正岡子規の誕生日です。そして彼は野球をこよなく愛していたことでも知られています。“ランナー”や“バッター”といった用語を“走者”や“打者”といった日本語訳にすることを提唱した記事があるなど文学を通じて野球の普及に貢献したことが認められ、2002年には野球殿堂入りも果たしています。日本に初めて野球を紹介した人物の一人であるホーレス・ウィルソンの殿堂入りがその翌年ですので、日本の野球界にとってそれほど重要な人物だと捉えられているということです。ちなみに“ベースボール”を“野球”と翻訳したのは別の人物なのですが、正岡子規もこの訳を気に入っていたのか、自身の幼名である“のぼる”をもじって“野球(のぼーる)”というペンネームを使ったこともあるそうです。

 現在でも日本語訳された野球用語は広く使われていますが、これが普及した背景には悲しい歴史も関わっています。戦時中、敵性語である英語の使用が取り締まられていったことを受け、すでに国民に親しまれていた野球の用語に訳語をあてることが急務となったのです。当時使われていた実際の用語は既に廃れているものもありますが、“チーム”を“球団”と呼ぶなどの名残もあります。戦時中に行われていた野球には「戦勝」への意識が反映されていき、「打者の体に向かってくる球でも避けてはならない」、「裏に攻撃をする球団が9回表時点で勝ち越していても敵を徹底的に打ちのめすために裏の攻撃は省略しない」といったルールが取り入れられたりもしました。この時点で既に正岡子規は亡くなって久しいのですが、自らが普及に尽力した野球がこんな形で戦争に利用されたことをどのように感じるでしょうか。

 今年の8月6日、日本プロ野球チームの広島東洋カープが読売ジャイアンツの本拠地・東京ドームでの試合に勝利しました。完封勝利を果たした広島の先発投手・アドゥワ誠さんはヒーローインタビューにて「特別な日なので、広島にとっても日本にとっても、こういう日に勝てたのは何か縁があるのかなと思います」と語りました。この日の6回裏にピンチを迎えた場面での心境を聞かれると「まぁ割り切って、打たれても死ぬわけじゃないんで」とさらりと答え、場内からはどっと笑いが起こりました。一方で、ネットやSNSでは違う反応も見られました。「意外と深い言葉かもしれない」、「そうだよな、打たれたくらいで死んだりしない」、「贔屓のチームが勝ったか負けたかで一喜一憂できるなんて幸せなこと」、「心の底から野球を応援できるくらいの平和に感謝」といった投稿が見られたのです。この日のコメント欄は、野球が戦争ではなく平和の象徴なのだと信じる人たちの声に満ちていました。

 きっと“これ”こそ、正岡子規が愛したスポーツです。