「ことばの日」の次の日に

 昨日、5月18日は「ことばの日」です。由来はシンプルに「5(こ)10(と)ば」で、日本記念日協会のHPによると、“「ことば」を大切に使い、「ことば」によって人と人とが通じ合えることに感謝し、「ことば」で暮らしをより豊かにすることが目的”、“言葉の「葉」が5月の新緑の瑞々しさを表しているとの思い”という記載がありました。とても素敵な記念日なので、1日遅れでこの記念日にまつわる話をするつもりでしたが、すごいことを思い出して原稿を書き直しました。本日5月19日は栗花落カナヲの誕生日です。

 知らない人のために書いておくと彼女は漫画「鬼滅の刃」の登場人物です。これから先の文章はネタバレに配慮するつもりはないので、気にしてしまう人はご注意ください。なぜ彼女の話題を原稿に盛り込んだかと言えば、好きな漫画の好きなキャラクターだからです。

 彼女は幼少期の悲惨な養育環境のため感情の起伏を失ってしまい、自分の意思というものが希薄なまま育ちました。彼女が本格的に感情をむき出しにするようになるきっかけは主人公・竈門炭治郎の「ことば」でした。
「この世にどうでもいいことなんて無いと思うよ。」
「人は心が原動力だから 心はどこまでも強くなれる。」
その後の物語では、彼女は心のままに行動していく場面が増えていくのです。

 ことばの日について、“ひらがなの「ことばの日」としたのには手話や点字など広い意味での「ことば」を知ってもらいたいとの思いが込められている。”とのことです。そう考えると、炭治郎と出会う前の意思や感情が希薄な彼女にもいろいろな「ことば」が届いて心を震わせていたのでしょう。「栗花落カナヲ」という名をもらってからの姉妹や仲間たちとのふれあいが、死んだ心を生き返らせる「ことば」だったのです。

 「たった一言が人の心を傷つける。たった一言が人の心を温める。」
子どもの頃に聞いたことがある詩なのですが、出典は分かりません。優しい「ことば」が人を癒し励ます強さがあるように、残酷な「ことば」は同じだけの強さで人を傷つけます。作中のカナヲもそれを実感していて、姉の仇敵である鬼に残酷な「ことば」を投げて揺さぶりをかけました。現実の世界では、鬼に向けるような「ことば」の刃が人間に向けられることがあります。とても悲しいことです。もっと優しい「ことば」を発していくこと、残酷な「ことば」を封じていくこと、みんながそうであること。「ことばの日」の次の日に、そんな誓いと祈りを綴ってみました。