作中の食べ物がおいしそうすぎませんか

「ジュブナイル」という言葉を聞かなくなって久しい気がします。主に10代の少年少女を対象とした文学作品の呼び名として使われていました。

 2月14日はバレンタインデーでした。もう最近は好きな人にチョコレートを渡して云々なんていうのも、生徒すらあまりやらなくなっているようで、「友チョコ」なんて文化も少なくとも小中学生には結局あまり根付いていないのかなと感じています。なんか子供たちも昔に比べて冷めちゃってるみたいで、からかってもあまり面白くないんですよね。もっとこう、照れたりしてほしいもんです。

 さて、チョコレートといって思い出す本は私の場合は『チョコレート戦争』になります。詳細はこちらからどうぞ。

 読まれた方はご存じかと思うのですが、この作中にでてくるお菓子の描写がすごいんですね、特にエクレールことエクレアについては文字数も結構な量をさいています。一部引用すると、

エクレール それはシュークリームを細長くしたようなもので、シュークリームと違っているのは、表面にチョコレートがかかっていることだ。これをたべるには、上品ぶってフォークなどでつついていたら、なかにいっぱいつまっているクリームがあふれだして、しまつのおえないことになる。そばを、つるっとすくってたべるように、いなずまのような早さでたべなくてはならない。そのため、フランス語でも、この菓子の名前を「エクレール(いなずま)」というのである。

という感じです。このあと実際に口にするシーンも含めて、『チョコレート戦争』といえば、というくらいに強く印象に残っています。

 で、何年もあとエクレアが世間に普及し始めて、ケーキ屋さんみたいなことろだけでなく、コンビニなんかでも見かけるようになったので、いくつか食べてみる機会もあるわけです。で、当然そんなかんだ瞬間にクリームがあふれだすみたいなものすごいことにはならないわけで、十分おいしいエクレアなのにもかかわらず、すこしがっかりしてしまうみたいなことを繰り返しています。

 おそらく特に絵本とか児童文学系で、こういった被害は多いんじゃないか、と。『ぐりとぐら』のフライパンケーキとか。『ちびくろサンボ』のホットケーキとか。私なんか小学校に入ってしばらくくらはホットケーキというのは何十枚も高く積み上げるものだと思い込んでいました。

 いやね、別に物語の中でおいしそうなものをおいしそうに描写するのが悪いわけではない、というよりむしろ作家さんの描写力がすばらしいんだというのはわかってはいるんですけれども、でもこの食べる前のワクワクを裏切られた感じというのは、だれかどうにかしてもらえないですかね。