あけましておめでとうございます。

本年もよろしくお願い申し上げます。

新しい年が始まりました。カレンダーも新品になったでしょう。ところでカレンダーを日本語に直すと「暦」といいますね。今回は暦についてのお話をしようと思います。

そもそも日本には独自の暦はなかったと言われています。天文学がそれほど発達していなかったため、中国の暦を流用していたのです。平安時代には遣唐使が授かってきた宣明暦(せんみょうれき)を使っていました。中国からの借りものなので細かい部分で日本にあっていないのですが、この暦は江戸時代まで約800年使われています。やがて江戸時代に入って、天文学が発達すると、日本にあう暦が作られるようになりました。現在私たちが使っている暦(グレゴリオ暦)は太陽の動きをもとにして作られているため「太陽暦」と呼ばれています。それに対して江戸時代のころに使われていた暦は月の満ち欠けをもとに、季節を表す太陽の動きを加味して作られた「太陰太陽暦」といいます。そして、現在この暦のことを「旧暦」といっているのです。

旧暦は、月が新月になる日を月の始まりと考え、各月の1日としました。そして次の新月がやってくると、次の月に替わるということになっています。新月から新月までは平均すると約29.5日の間隔なので、12か月で29.5日×12か月=約354日となり、太陽暦の1年と比べて11日短くなってしまい、季節が合わなくなってしまいます。そこで太陰太陽暦では閏月というものを作ってずれを修正しました。閏月は平均すると19年に7回の割合で入ります。つまり1年が13か月ある年が7/19の割合で発生します。 明治になって、近代国家をめざした日本は西洋の国々と同じ「太陽暦」を採用することにしました。もちろん西洋先進国に追いつくという名目で断行したわけですが、なぜか明治元年に導入したわけではありません。明治5年12月3日を、明治6年1月1日としました。一説には12月分の役人の給料を払う余裕がない明治政府が1か月前倒しして新年にしたという話もありますが本当かどうかはわかりません。